小説の出版以来、「偉大な兄弟」は、独裁政治や専制政治といったことが問題に取り上げられるときに、参照例としてよく使われている。
画面のなかでの謎の人物の特徴は、特に髭はナチスのヒトラーをイメージして描かれている。
この作品の影響は大きく、1984年に発売されたアップルのマックの発売予告のテレビコマーシャルにもそのアイデアが使われてもした。
「1900年以後のフィクションにおけるベストキャラクター100人」「最も影響力のある実在しない101人」というリストにも選ばれている。
しかし、この話は他人事のものだろうか。そうとばかりとは言えないのではないのだろうか。
ここ日本でも監視カメラが設置される区域が増えているし、警視庁の管轄で行われている車のナンバーを確認するシステムは、確かに犯罪の防止という役割が大きいのだが、しかし、ある程度の自由をトレードオフとしている。
しかし、これも行き過ぎると「偉大なる兄弟」へとひた進んでしまう可能性もなきにしもあらずなのかもしれない。
そうならないためにも、この作品が示唆することをもう一度考えてみることはいいのではないのだろうか。